人物編:その2優雅なる冷酷私がまだアラビア語の学生だった時、イスラム事情についてレポートを作らなければならず困ったことがあるのです。 アラブ(中東事情)ではなくイスラム(教)事情です。年代は特に規定はなかったので私は題目を『レパントの海戦』にしたのですが... 『レパントの海戦』記憶にありますか?高校世界史の教科書には十中八九載っています。 簡単に説明すると 1571年 10月7日 レパントの海戦1453年にビザンチン帝国がオスマン=トルコ帝国のマホメッド二世に攻め込まれ大敗。ビザンチン帝国は滅亡し首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)は陥落し以後オスマン=トルコ帝国の首都となる。このコンスタンティノープル陥落からオスマン=トルコはキリスト教国圧倒的強さを見せつけ以後地中海を支配してゆくのです。 1571年、巻き返しをはかりたいキリスト教国はヴェネツィア共和国とスペイン王国を主な構成国とするキリスト教連合艦隊の約200隻を編成、ギリシャのレパント沖に集結。対するオスマン=トルコ帝国も約200隻。 ガレー船同士の最後で最大の海戦といわれているものです。 優位を誇ったオスマン=トルコ帝国が1453年以降初めてキリスト教国に大敗した戦いです。 そんなものを題材にレポートに書こうとしていたのですが、資料がない。全くない。百科事典を調べても歴史全書の類いでも、上記程度のことしか書いてないのです。 イスラム側からみたもっと詳しい資料が欲しかったのだけれどお手上げでした。そんな私に友達が勧めてくれたのが、塩野七生氏が書いた、その名もズバリ『レパントの海戦』。私が欲しいのはイスラム側からの資料。でもな~んにもないよりは...と読んでみた。 はまってしまったのです。塩野七生氏に。女性でありながら男性的な文章にすっかりはまり彼女の本を全部揃えて完読。 って、前ふりが長過ぎました。 そんななかで出会った塩野七生氏の作品。彼女のはじめての書き下ろし長篇、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」。 我が愛しきチェーザレ・ボルジアチェーザレ・ボルジア!なんたる男!そう冷酷な!まさに優雅なる冷酷! 惚れてしまった、この男に!!!(えっ!惚れっぽい?気が多過ぎ?まぁ、そう言わずに!) チェーザレ・ボルジア。ルネサンスの天才です。ルネサンスの天才はダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの芸術家だけではないのです。 政治の天才も数多くいたのですよ。そう彼は政治の天才のひとり。(えっ!思っているのは私だけ?)彼がいなければマキアヴェッリの『君主論』はこの世に生まれなかった。『君主論』のモデルとなった人物。統一イタリアという概念を最初に持った人です。当時のイタリアは小国分裂時代。大国に対抗できるだけの勢力をもっていなかった。それではいかん!!と気付き統一イタリアを成し遂げようとした人物。ダ・ヴィンチがそばで仕えていたこともあるのです。ほんの短い期間でしたけどね。 また好色でも有名でその手の話題には事欠かない人物でもありました。 彼はやったことも冷酷だったけれど、彼の運命も冷酷。その絶頂期に無惨な最期をむかえるのです。 ねっ、かっこいいでしょ?えっ、カッコよくない?本を読んでね。惚れますよ! あっ、でもチェーザレの影、ドン・ミケロットという人物もでてくるのですが、彼もなかなかかっこいいです。貴方はどちらに惚れるかな? 本は新潮社さんから出版されてます。 でも実は、彼と結婚したい!とかじゃないのです。確かにとても魅惑的な男なのですが。こんな人が今目の前にいたら!!とは思うのですが.... もし自分が男で、まぁ女でもいいけど(実際、彼と戦ったルネサンスの女傑がいますからね)、そして同時代に生きていたならば、『彼と戦ってみたい』そんな気にさせる男なのです。『戦って破れてもチェーザレに破れたのならば本望かも....』なんてね。 因に、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」は宝塚歌劇団の演目にもあるそうです。何組公演かはしりませんが... ジャンル別一覧
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